ルーツ探訪 2007年
10月

★ 山形県


●名君・鷹山公の教えが息づく伝統の味《うこぎ料理、鯉の甘煮、冷や汁》

 2007年、讀賣新聞が日本の自治体首長に対して行ったアンケートで、理想のリーダー第1位となった上杉鷹山。江戸時代後期、領地返上寸前だった米沢藩の経営改革を成し遂げた、名君中の名君です。鷹山は、自ら先導して厳しい倹約に取り組み、桑、こうぞ、漆の栽培や米沢織を広めるなどの産業振興をはかり、周到な備蓄によって、藩の窮乏を救いました。その民政事業は細やかなもので、たとえば救荒作物を食いのばすための指導書『かてもの』を領民に配布。その甲斐あってか、未曾有の凶作に見舞われた「天明の大飢饉」においても米沢藩だけ、ひとりの餓死者も出さずに済んだといいます。
また、鷹山は、新芽が食べられる「うこぎ」を家の垣根にすることや、台所くずで鯉を飼うこともすすめました。そうした教えの名残が、今も郷土料理に残っています。鮮やかな若草色をしたうこぎの若芽。それをさっと茹で、焼いた味噌とあえて、包丁で細かく刻んだ「うこぎの切りあえ」や炊き上げたごはんに混ぜた「うこぎごはん」は、春の訪れを知らせてくれる味わい。砂糖としょうゆで甘じょっぱく煮あげた「コイの甘煮」は、砂糖が貴重品だったころの一番のご馳走。大晦日には「良い年よ、コイ」という願いを込めて、年取り膳に並べたのだといいます。さらに、もとは米沢藩の陣中料理、旬の野菜をふんだんに使った「冷や汁」も、鷹山が広めたとされています。宮崎県と埼玉県にも同様の名の料理があるそうですが、こちらは汁の多いおひたしの一種といったところ。干ししいたけ、煮干、干し貝柱からでるおだしが効いてる小粋な一品です。

●近江商人が伝えた、食材を使い切るおいしさの知恵と工夫 《おみ漬け》

 山形青菜(やまがたせいさい)を細かく刻み、同様に小さく切っただいこん、にんじん、しその実などとともに、塩、しょうゆ、砂糖、砂糖、みりんなどで調合した液に漬け込んだ「おみ漬け」。野菜の切れ端など、余った部分も無駄にしない知恵と工夫は、倹約家として知られる近江商人が伝えたのだとか。「近江漬け」から「おみ漬け」に、というのが語源の有力説です。朝食の定番ともいえるのが、納豆と半量ずつ混ぜた「おみ漬け納豆」。納豆のクセがやわらぎ、食欲のないときでもさっぱりといただけます。また、湯漬けの具にしたり、ご飯と炒めてチャーハンにするのも当地ではポピュラーな食べ方。数の子や食用菊を混ぜると、彩りも美しく、お酒の肴にもぴったりです。
 おみ漬けの主役「山形青菜」は、東北地方でつくられる唯一の高菜。明治の終わりに奈良県から種子を入れ、大正初期に特産品として栽培するようになりました。高菜と同じアブラナ科の野菜ですが、一株の重さが500グラム〜1キロ、丈が70〜80センチと大きく、その幅広の葉肉が厚くて柔らかいことが特徴。そのため、漬け込んでもしんなりとならず、シャッとした歯ごたえと、さわやかな辛味が楽しめます。10月末までに収穫された青菜は、ほとんどが「青菜漬け」の材料となります。どちらかというと肉厚の茎の部分を珍重して食べるため、昔は葉先の部分を捨ててしまうことも。それを使い切ったのが、前述の「おみ漬け」というわけです。また、青菜漬けの葉の部分は、大きいもので直径30cmほどあります。それで味噌おにぎりを包み、表面を少し焼いていただく「弁慶めし」は、まさにふるさとの味わいです。




参考文献・サイト
「日本の食生活全集 山形」編集委員会 『聞き書 山形の食事』 (社)農山漁村文化協会
読売新聞東京本社地方部編 『郷土食とうほく読本』無明舎出版
(社) 農山漁村文化協会 故郷に残したい食材 http://nipponsyokuiku.net/syokuzai/index.html


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