ルーツ探訪 2007年
6月

★ 福島県


●「干し貝柱」をダシに使って。実だくさん、上品な味わいの汁煮はお代わり自由 《ざく煮(こづゆ)》

 東は磐梯山・猪苗代湖を含む奥羽山脈、西は越後山脈、北は飯豊山地に囲まれる会津地方。日本海にも太平洋にも遠く、海の幸に恵まれない当地には、越後(新潟)の海産物商が、身欠きニシン、棒ダラ、ほおどし(イワシのほおをワラで刺しつなげ、半乾きにしたもの)、切りイカ、スルメ、田作り(ごまめ)、みりん干し、目刺し、ワカサギ、貝柱などの干物や、塩マス、塩びき(塩鮭)、塩クジラなどの塩蔵品を運んできました。これらを自給自足の作物と組み合わせ、会津には独特の食文化が生まれました。たとえば、冠婚葬祭やお正月、建前(棟上げ)などのお祝いの膳に必ずつけられた「ざく煮(こづゆ)」は、ダシに「干し貝柱」を使い、キクラゲ、サトイモ、ニンジン、糸こんにゃく、キノコ(シイタケなど)、豆腐、ギンナンなどを煮て、薄味に仕立てた上品な味わいの汁煮です。魚料理の代わりを果たしたことは、“煮ざかな”と呼ぶ地域があることからもわかります。材料や味つけなど、家ごとに代々伝わるレシピがあり、女性たちはわが家自慢の味づくりに精を出したといいます。ざく煮が盛んに作られたのは、江戸時代後期から明治にかけてで、当時としてはぜいたくな料理だったにもかかわらず、何杯おかわりしてもよいという習わしがあり、大鍋にたっぷりと用意されました。山海の幸、その旨みが溶け合う一品です。

●身欠きニシンを、専用の「にしん鉢」で漬ける。山椒の香りが独特の風味をかもす《ニシンの山椒漬け》

 海に遠い会津地方では、交通機関や流通が発達するまで、乾物などを利用してきたのは、先に述べたとおりです。もちろん川魚はこの限りではなく、イワナ、ヤマメ、アユなどが食卓を賑わしてきました。さて、隣接する越後からもたらされる干物のなかでも、身欠きニシンは、野菜との煮物、酢漬け、味噌煮、てんぷら…といろいろな調理法で食べられてきました。「ニシンの山椒漬け」は、保存性を高める効果のある山椒の葉を用いて、しょうゆや酒で漬け込んだもの。身欠きニシンの臭みと渋さがやわらぎ、特有の香気とまろやかな酸味が加わった深い味わいは、ご飯のおかずはもちろん、酒の肴としてもたいへんに好まれます。各家には、ニシンの山椒漬けをつくるための「にしん鉢」が常備されていました。これは、身欠きニシンの長さに合わせてつくられた角形の鉢で、江戸時代初期から、会津藩の御用窯として栄えてきた会津本郷焼の陶器です。
会津には「三泣かせ」という言葉があります。会津へ赴任(転勤)すると、はじめは“よそ者”として扱われ泣かされる。次第に溶け込んで付き合っていくうちに、やさしさや心の温かさに触れて泣き、土地を離れるときは、別れがたくて泣く…というものです。会津の郷土料理には、そんな豊かな人情味がかくし味として添えられているようです。




参考文献・サイト
「日本の食生活全集 福島」編集委員会 『聞き書 福島の食事』 (社)農山漁村文化協会


←2007年5月号へ [ルーツ探訪]に戻る 2007年7月号へ→