ルーツ探訪 2006年
7月

★ 百沢(ひゃくざわ)街道
〔青森県弘前市〜鯵ヶ沢町〕


●津軽人の信仰を集める聖なる山・岩木山、その参詣の道として発達。

 津軽平野のどこにいても、その優美な姿を望むことができる青森県の最高峰・岩木山(1625m)。津軽一円の人々から“お山”“お岩木様”と親しまれ、山そのものが信仰の対象としてあがめられてきました。その岩木山に詣でる道として発達してきたのが、百沢街道。弘前城下から岩木川を越え、百沢、嶽温泉、湯段温泉などを経由して、日本海側の鯵ヶ沢に至る道です。現在の主要地方道・弘前岳鯵ヶ沢線とほぼ重なっています。
津軽地方は16世紀末、藩祖津軽為信(1550-1607)によって統一されました。津軽氏は4代90年余りにわたって、百沢街道沿いにある大浦城を本拠としていたため、遅くとも16世紀初頭までには本街道が整備されていたのではないかと推察されています。岩木山麓には、1680(延宝8)年、四代藩主信政によって開かれたといわれる嶽温泉があります。江戸時代には津軽藩士はもちろん、町人・農民の湯治場として賑わいをみせており、百沢街道は温泉への道としても利用されてきました。また、一里塚は確認されていませんが、元禄年間(1688-1704)に植えられ始めたという松並木が現存する区間もあります。風雪に耐えてきた松の姿は、津軽の歴史を宿しているかのようです。。

●近郷近在の人々が集団で登頂。めざすは旧暦8月1日のご来迎。

 津軽富士といわれる岩木山は、頂上を三峰に分けたコニーデ型の独立峰。イワキとは「石の城」という意味があるという説のほか、アイヌ語の「イワーケ」(岩・所)、「カムイーイワキ」(神の住む所)に由来するともいわれ、いずれも神聖な山という意味を持っています。事実、岩木山は、わが国の山岳信仰の典型の地とされ、それを象徴しているのが、毎年旧暦8月1日に行われる「お山参詣(お山かけ)」です。
鎌倉初期から始まったとされるお山参詣が、今日のように近郷の人々が集団で登拝する形式となったのは寛政3(1791)年から。8代藩主・津軽信明公が旧暦8月1日〜15日を登拝期間に定めたことに始まっています。お山参詣は、御神体である岩木山と一体になることで、自己の浄化を目指すもので、人々は、笛や太鼓の登山囃子にあわせて「さいぎさいぎ、どっこいさいぎ、おやまさはつだい、こうごうどうさ…」と唱えながら岩木山神社に向かいます。この神社の創建は宝亀11(780)年。現在のヒバ造りの社殿は400年前に建てられたといわれており、鎌倉時代以降の密教道場の構造と安土桃山文化の華麗な建築様式を併せ持つことから、「奥日光」と日光東照宮に例えられることも。桜門・拝殿・本殿・瑞垣は国の重要文化財の指定を受けています。
さて、お山参詣のヤマは、“果報に恵まれる”といわれる、旧暦8月1日のご来迎の参詣です。岩木山神社に供物やのぼりなどを奉納したのち、さらに頂上の奥宮へ向かいます。ご来迎を拝んだあとは、「ばたらばたら、ばたちょ、いい山かけた…」と口々に唱え、下山します。これらの不思議な唱え詞は、修験系のものとされますが、出羽三山や早池峰山のように修験者が前面に出ることはなく、主役は地域住民であるところに特徴があります。お山参詣は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。




参考文献・サイト
渡辺信夫監修『東北の街道』(社)東北建設協会
重森洋志『東北お祭り紀行』無明舎出版
弘前市 http://www.city.hirosaki.aomori.jp/
(社)弘前観光コンベンション協会 http://www.hirosaki.co.jp/htcb/sightseeing/iwaki/index.html


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