ルーツ探訪 2006年
1月

★ 田名部(たなぶ)街道
〔青森県野辺地〜青森県下北郡佐井村〕


●蝦夷地(北海道)の警備に向けて、“北の防人“たちが通った道。

 その形から“まさかり半島”の異名を持つ下北半島。ちょうど斧の柄尻に位置する野辺地町から、陸奥湾に沿って北上し、むつ市田名部から津軽海峡に向かい、風間浦村、大間町、佐井村に至る道が「田名部街道」です。
この街道の起点になっている野辺地は、藩政時代には西廻り航路の拠点として北前船が出入りし、“天下の台所”大坂(大阪)をはじめとして、各寄港地との交易でたいへんな隆盛を誇ったといいます。ここから積み出されたのは、尾去沢の銅、最高級品とされた横浜町の煎海鼠(干しなまこ)・干鮑などの海産物、ヒバ、大豆などでした。一方、盛んな人的交流により上方文化がもたらされたことは、下北半島各地に伝わる能舞や歌舞伎からもうかがい知ることができます。明治以降は、汽船や鉄道の発達などにより、賑わいも薄れていきますが、今も残る日本最古の灯台【廻船問屋・野村治三郎が文政10(1827)年に建立した石灯籠式の常夜灯。ここで夜通し灯される明かりが港の安全を支えた】が往時の繁栄をしのばせています。
さて、江戸時代の中頃まで、田名部街道の中心といえば、野辺地と代官所が置かれていた田名部の間でした。しかし18世紀末からロシア船がたびたび南下し、蝦夷地の警備が重要視されるようになると、田名部〜風間浦〜大間〜佐井への道筋も整備されるようになりました。享保3(1803)年には、佐井−函館間の航路が開かれ、幕府の役人をはじめ、盛岡藩・仙台藩の藩兵、のちに北方探検に大きな功績を残した近藤重蔵や間宮林蔵が、それぞれの任を胸に、田名部街道を通り、佐井村から北海道へと旅立って行ったのでした。

●高級魚介類の好漁場に恵まれる大間町、クロマグロは超一級品。

 本州最北端の地、大間町。1983(昭和58)年の松竹映画「魚影の群れ」(相米慎二監督、緒方拳、夏目雅子)や、2000(平成12)年のNHK連続テレビ小説「私の青空」の舞台にもなったので、ご存知の方もいらっしゃるのでは?津軽海峡を隔て北海道との最短地点である函館市汐首岬との距離は、わずか17.5キロメートル、晴れた日には対岸の町並みをはっきりと見渡すことができます。大間−函館間40キロを1時間40分で結ぶフェリーも運航されていますが、その昔は速い潮が行く手をはばむ、危険な海峡でもあったのです。
人の往来を拒んだ潮の流れはしかし、今も昔も大いなる海の恵みを育み、運んでくれます。ブリ、タイ、アワビ、ウニ、コンブ、そして“黒いダイヤモンド”“海の松坂牛”と呼ばれる「大間のマグロ」です。超がつくほどの一流ブランド品として全国に知られる大間産クロマグロは、2001(平成13)年の築地市場初せりにおいて、キロ10万円、2020万円という史上最高値が付き、大きな話題を呼びました。庶民にはほど遠い“海の宝石”が、グーンと近くなるのが、毎年10月に開催される「朝やげ夕やげ横やげ〜大間超マグロ祭り」。豪快なマグロ解体ショーや即売会、海鮮バーベキュー、マグロ漁ウォッチングなどが催され、毎年押すな押すなの大盛況です。ちなみにタイトルの「横やげ」とは、大間から望む函館の夜景は、横から見ることになるので「横夜景(よこやけい)→横やげ」なのだそう。
「超マグロ祭り」の問い合わせは、大間活性化委員会やるど会(大間町商工会) TEL0175-37-2233
http://www.jomon.ne.jp/~oomas/index.html




参考文献・サイト
渡辺信夫監修『東北の街道』(社)東北建設協会
『郷土資料事典2 青森県』人文社
大間町役場 http://www.net.pref.aomori.jp/ooma/


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