ルーツ探訪 2005年
6月

★ 酸ヶ湯温泉(すかゆおんせん)
青森県


●雄大な自然のなかに刻まれる、悲劇・八甲田山雪中行軍の教訓。

 十和田八幡平国立公園に位置する「八甲田山」は、1400m級の峰々が連なる南八甲田、北八甲田の総称。ブナやミズナラ、アオモリトドマツなどの豊かな天然林を擁し、新緑や紅葉などの美しい風光、また高山植物の宝庫として知られていますが、一方で、わが国の山岳遭難史上、最悪の悲劇を生んだ地としての歴史を潜ませています。日露戦争開戦前夜だった1902(明治35)年、寒冷地での行軍データをとるために、青森第5連隊、弘前第31連隊は、厳冬訓練に挑むことになりました。1月23日、両隊は八甲田山中で合流する計画を基に、それぞれ反対側から登り始めますが、出発直後から激しい吹雪に見舞われます。それでも弘前連隊は地元の案内人を起用するなどして、なんとか目的地までたどり着くことができましたが、青森連隊210名は、道を失ってしまうのです。新田次郎の小説にもなった“死の彷徨(ほうこう)”です。発見された時、生存者はわずか17名。その後も命を落とすものが相次ぎ、結局、生還者はたったの11名という大惨事となりました。田代平高原には、立ったまま仮死状態で見つかった後藤房之助伍長の銅像が建ち、冬山の恐ろしさを後世へと伝えています。

●老若男女がのんびりと。古き良き湯治場の風情を残す、総ヒバ千人風呂。

 スキーの技術もなく入山した雪中行軍から100年余り、八甲田は現在、極上のパウダースノーを楽しめる山岳スキーのメッカとして根強い人気を集めています。そしてスキーヤーならずとも、わざわざ出掛けてまで入りたい秘湯といわれるのが、北八甲田の主峰・大岳(1585m)の西麓900mに湧く一軒宿「酸ヶ湯温泉」です。一軒宿といっても、大きな木造建築がいくつもの棟でつながる大温泉郷で、建坪3000弱、収容人数1000名を誇ります。1954(昭和29)年には、国民保養温泉第1号に指定され、今も古き良き湯治場の趣を色濃く残しています。  
 開湯は、貞享元(1684)年。傷を癒している鹿を見た猟師が発見したといわれ、「鹿湯」と呼ばれていたのが、いつしか「酢ケ湯」→「酸ヶ湯」になったとされています。その名の通り、湧き出ているのはすっぱい酸性の湯。1702(元禄15)年には、津軽藩主直営の湯治場となり、そのふんだんな湯量と高い効能が評判となり、南部藩や遠く松前藩からも湯治客が押しかけるようになったといいます。  
 酸ヶ湯温泉の名物であり、シンボルといえるのが広さ80坪もある総ヒバ造りの「千人風呂」です。湯治場の伝統を伝える、のびやかな男女混浴。ただし、午前と夜の2回、女性専用タイムが設けられています。体育館のようなスペースには、「熱の湯」「四分六分の湯」「冷の湯」「湯滝」の4種の浴槽があり、濃い成分ゆえに、身体の症状にあわせた入浴法が掲げられています。湯治は通常10日(3日で1まわり、3まわりで9日)滞在することで、最も顕著に効果が現れるそうです。さらに、緑に洗われる澄み切った空気が、心身両面のリフレッシュを促してくれます。



温泉INFORMATION

泉質は酸性硫黄泉。効能は、神経痛、リューマチ、冷え性、神経炎、胃腸病、婦人病一般、痛風、創傷、火傷、じんましん、糖尿病、皮膚病、貧血病、便秘、痔疾、小児マヒ、喘息、夜尿症、打撲、骨折の予後など。宿から徒歩約7分のところに、温泉の熱い蒸気が通る木箱に腰掛けて、身体を温める「まんじゅうふかし」がある。車で東北自動車道・黒石ICから国道102、394号線経由で約20q、JR青森駅から無料送迎バスがある(ただし宿泊客のみ、要予約)。問い合わせ:酸ヶ湯温泉旅館TEL.017-738-6400



参考文献・サイト
温泉教授の日本百名湯/松田忠徳 光文社新書
車で行ける名湯秘湯 東北編/JAF出版社
酸ヶ湯温泉公式HP http://www1.odn.ne.jp/~sukayu/


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