ルーツ探訪 2004年
10月

★ 秋の藤原まつり
岩手県西磐井郡平泉町/中尊寺、毛越寺


●まれに見る黄金文化を築き上げた、奥州藤原氏 三代100年の栄華。

 (平泉『三代の栄耀一睡のうちにして(三代の栄華も一睡のうちに過ぎて)』と「奥の細道」で松尾芭蕉が記す“三代”とは、清衡(きよひら)、基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)の藤原三代のこと。
 当時辺境とさげすまれた蝦夷の国に、都に勝る黄金文化を出現させた、東北を代表する歴史的興亡です。
 藤原初代清衡が平泉に居館を移したのは、1094(嘉保元)年のこと(一説には1099年)。
 前九年の役、後三年の役に散った霊をなぐさめ、仏国土を建設したいという宿願のもと、慈覚大師開山の中尊寺を中心とした理想郷の造営にとりかかります。
 その志を受け継いだ子、二代基衡、三代秀衡によって毛越寺(もうつうじ)、無量光院が建立され、平泉は京に次ぐ地方大都市に発展します。
 その経済的基盤を支えたのは、砂金・駿馬・漆・練絹、皮革などの地産品といわれていますが、国内で唯一の産出地であった陸奥の金を、陸奥国の人が自らのためにふんだんに費やして作りあげた仏教文化という点が、日本史上、注目されるところです。
 黄金の輝きに影が差すのは、三代秀衡が源義経を庇護し、鎌倉の源頼朝と対立を深めた頃から。
 四代泰衡は、平泉の安泰を願って、義経を自刃に追い込むものの、1189(文治5)年、代を継いでわずか3年で頼朝に滅ぼされてしまいます。
 ここで、奥州藤原氏は100年の栄華の歴史を閉じるのです。
 しかし、いわゆる“判官びいき”の人々の間では、義経はひそかに北海道に逃れたという不死説や、果ては大陸に渡り、モンゴル帝国の覇者チンギスハーンになったというような荒唐無稽な伝説まで語られるようになりました。



●伝承の舞、幽玄の能、そして郷土芸能が紅葉黄葉の平泉に舞う。

 春と秋、年に2回行われる藤原まつりは、藤原四代公追善法要に由来します。
 観光シーズンの最後を飾る秋のお祭りでは、1日目は法要に続き、手にもみじの枝葉をもって愛らしい稚児行列がお目見えします。
 期間中は、剣舞(けんばい)や鹿踊り(ししおどり)、神楽などの郷土芸能の団体が集い、演舞が披露されます。
見どころは3日目。毛越寺の浄土庭園では「延年の舞」(国重要無形民俗文化財)から「唐拍子」「若女禰宣」「老女」「花折」などが優雅に舞われ、中尊寺の野外能楽堂では「中尊寺能」が奉納されます。
 一方、春の藤原まつりの開催は毎年5月1日〜5日まで。
 稚児行列、中尊寺能、延年の舞などの披露は、秋の祭りと同様ですが、なんといっても人気は「源義経公東下り」。
 義経が兄頼朝から逃れてやっと平泉にたどり着いた時、秀衡がたいへん喜んで自ら馬に乗って出迎えたという情景を再現しています。
 義経に扮するのは、当代の人気俳優や芸能人で、沿道の観客からは黄色い声援が飛びます。



お祭りINFORMATION

●毎年11月1日〜3日。連日午前10時から午後3時頃まで。
 中尊寺は国宝建造物第一号の金色堂をはじめとして3000余点の国宝や重要文化財を伝える平安美術の宝庫。拝観料大人800円。
 毛越寺の「浄土庭園」は平安時代の伽羅遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国より特別史跡、特別名勝の二重指定を受けている。拝観料大人500円。

問い合わせ:
平泉町観光協会 0191-46-2110



参考文献・サイト
東北お祭り紀行/重森洋志 無明舎出版
岩手県の歴史散歩/岩手県高等学校教育研究会社会部会日本史部会 山川出版社
岩手県の不思議事典/金野靜一ほか編 新人物往来社
平泉町役場 http://www.town.hiraizumi.iwate.jp/

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