ルーツ探訪 2004年
8月

★ 角館のお祭り
秋田県角館町


●普段は静かな“みちのくの小京都”に賑やかな飾山ばやしが響く時。

 黒板塀の続く武家屋敷で知られる“みちのくの小京都”角館。その城下町としての歴史は、中世末、戸沢氏の手により始まりましたが、元和6(1620)年、常陸(現在の水戸)から転封された佐竹氏に従って、角館城を預かった芦名氏が新しく町づくりを行い、秋田藩のなかで最も大きな城下町として発展してきました。都市計画によって構成された町内は、中央部に設けられた火除け(防火地帯)を堺に、北に内町(武家町)、南に外町(町人町)と分けられ、その町並みは380年以上経た今も変わらないといいます。
 夏の熱気が残る9月の初め、普段は静寂に包まれる町に、賑々しい“飾山(おやま)ばやし”が響きわたります。角館っ子が熱く弾ける3日間の始まりです。各町内から繰り出した重量感たっぷりの18基の曳山(ヤマ)が練り歩く「角館のお祭り」は、江戸初期の古文書には既に「担ぎ山」として紹介される歴史あるヤマ行事。一説には殿様に嫁いだ京のお姫様が、故郷をしのんで悲しむのを慰めるため、山鉾祭りを持ってきたのが始まりといわれています。9月7日、8日は神明社の宵宮と本祭り、8日、9日は薬師堂の宵宮と本祭り、と主祭神が変わるところもユニークなところです。1991(平成3)年には、国の重要民俗文化財に指定されています。



●異名喧嘩祭り。通行の優先権をめぐって、ガツン!とヤマ同士が激突。

 ヤマは、9月7日夕刻から神明社参詣、8日午後から佐竹北家への上覧、8日もしくは9日には薬師堂への参詣を行うことが約束事となっています。各町内の境には「張番」と呼ばれる祭典行事を司る場所が設けられ、各ヤマは入町の許可をもらうための問答を行います。経験の乏しい若者たちは、ここで挨拶の基本を覚え、一人前の社会人としての自覚を持つのだといいます。
 参詣を終えたヤマは、町内をくまなく練りますが、他のヤマと鉢合わせした場合は、どちらが道をゆずるか話し合いがもたれます。これを「交渉」といいます。話がつかなければ決裂、実力で勝敗を決します。それまでゆったりと奏でられていた飾山ばやしは、テンポの速いお囃子に一転。若者たちが高々と提灯を掲げ、威勢のよい掛け声とともに始まるのは「ヤマぶっつけ」、文字通りの祭りのヤマ場であり、最大の見どころです。5トンもあるヤマがガツン、ガツンと鈍い音をたてて、正面から激しくぶつかりあう様はまさに豪快のひと言、迫力いっぱいの喧嘩祭りです。ここでの勝敗は翌年まで尾をひく程、各町内の対抗意識は強いものがあるそうですが、それもまた、祭りをいっそう盛り上げるスパイスとなっているようです。ヤマぶっつけの合間には、気の高ぶりを静めるかのように、野良着姿の秋田おばこによる手踊りが披露され、静と動が交錯するみちのくの小京都にふさわしい祭事となっています。祭りが終われば、桧木内川から涼風が立ち、角館は日一日と秋の色が濃くなっていきます。



お祭りINFORMATION

●毎年9月7、8、9日開催。
 8日、9日には、あらかじめ時間と場所が決まっている観光用のヤマぶっつけがある。 9日午後から未明まで随所でヤマぶっつけ本番があり、各町の名誉を賭けた勝負が繰り広げられる。 8日には曳き手として参加できる企画もある。 当日受け付け、参加料は無料。
問い合わせ:角館のお祭り実行委員会 0187-54-1114、角館町観光協会 0187-54-2700、観光情報センター駅前蔵 0187-52-1170



参考文献・サイト
東北お祭り紀行/重森洋志 無明舎出版
祭り〜ふるさと東日本/高橋秀雄 そうよう
角館町役場 http://www.town.kakunodate.akita.jp/
角館町観光協会 http://www.town.kakunodate.akita.jp/kankou/index.htm


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