ルーツ探訪 2004年
6月

★ 相馬野馬追(そうま のまおい)
福島県原町市・相馬市・鹿島町・小高町ほか


●相馬氏の祖・平将門以来の伝統は、時代が変わっても変わらない。

 3月なかば、東北地方の新聞に「“サムライ”LAに参上」の見出しが躍りました。 アメリカ・ロサンゼンスで甲冑(かっちゅう)競馬や威風堂々の行進を披露したのは、「相馬野馬追」の騎馬武者たち。 古式ゆかしい鎧兜に陣羽織、色とりどりの旗指し物に、観衆からの大歓声が上がったといいます。
 1000年以上の歴史に縁取られる相馬野馬追は、中ノ郷、小高郷、標葉郷、北郷、宇多郷の相馬・双葉五郷(旧相馬藩の行政区)を挙げて開催される野馬追い行事です。 戦国絵巻さながらに武者600騎が繰り出す、全国的にも珍しい祭りは、国の重要無形民俗文化財に指定されています。 その由来は延長年間(923-930年)、相馬氏の始祖となる平将門(たいらのまさかど)が、関八州(北関東八カ国)を拝領した折、軍事強化のため騎馬隊を組織したことに始まります。 将門は、下総国小金ケ原(現:千葉県流山市付近)に野馬を放し、それを敵兵に見立てて馬術の訓練を積ませました。 捕らえた馬は武神・妙見に奉納したことも、祭礼として長く続けられる要因になったようです。 その後、源頼朝が奥州を攻めた際に功労があったとして、当地を与えられた相馬氏は、将門以来の伝統を代々受け継いできました。



●隣藩に屈しなかった相馬武士の武勇と心意気が燃える3日間。

 相馬男が凛々しい古武士へ。 祭りの第1日目は、妙見を祀る太田・小高・中村の三神社で各郷の出陣式がおこなわれます。 高らかなほら貝におくられ、めざすは原町市の雲雀ケ原。 しかし、北郷だけは陣屋で待機し、総大将のいる宇多郷を迎えます。 総大将に扮するのは、相馬氏の子孫。 直系の末裔だけに許される出で立ちは、ひときわ目を引きます。 一同が会した雲雀ケ原祭場では、馬場清めの儀式ののち、白鉢巻に野袴(のばかま)、陣羽織姿の騎馬武者による宵乗り競馬がおこなわれます。 砂塵とともに舞い上がるのは、祭りへの緊張感と期待感です。 2日目は、先祖伝来の旗指し物を背に、甲冑に身を固めた騎馬武者が進軍する「お行列」に始まります。 続いて、各郷の名誉をかけて繰り広げられるのは、勇壮な甲冑競馬。 大坪流の手綱・鞭さばきも鮮やかに、人馬一体となって疾走します。 午後からは神旗争奪戦。 花火が打ち上げられ、割れ落ちてくるご神旗を武者数百騎が奪い合う様は、いにしえの戦場はかくありなんと思う迫力です。 3日目は、追い込み行事と神事の名残をとどめた野馬懸が、相馬小高神社でおこなわれます。 裸馬を境内に設けた竹矢来に追い込み、白装束の御小人(おこびと)と呼ばれる社人が素手でとらえ、神前に奉納します。
隣藩・伊達氏に組みしなかった相馬武士の精神的支柱といわれる野馬追。 まさに焔立つような熱気は、夏の暑さのせいだけではなさそうです。



お祭りINFORMATION

毎年7月23、24、25日開催。 先祖伝来の馬具甲冑、旗指し物は“動く文化財”と語る好事家多し。 総大将お出迎えの儀式など古式に則ったものも多く、見る者を戦国絵巻へと誘ってくれる。
問い合わせ:原町市商工観光課 0224-24-5263, 相馬野馬追執行委員会 0244-22-3064



参考文献・サイト
東北お祭り紀行/重森洋志 無明舎出版
ふくしまの祭りと民俗芸能/懸田弘訓 歴史春秋社
祭りを旅するD東北・北海道編/日之出出版
原町市ホームページ http://www.city.haramachi.fukushima.jp/

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