ルーツ探訪 2004年
3月

★ 人間将棋
天童公園/山形県天童市 


●藩士の手内職から始まった将棋駒づくり、今では国の伝統的工芸品に。

 市内のいたるところに誇らしげに掲げられる将棋駒のオブジェやモニュメント。 それもそのはず、天童市は日本一の将棋駒の生産地、国内でつくられる95%以上がここで生まれています。 天童で将棋駒がつくられるようになったのは、江戸時代の後期。 1755(宝暦5)年、1783(天明3)年、1833(天保4)年と3度の大飢饉に見舞われた藩の財政は疲弊し、農民はもとより藩士の困窮ぶりも目に余るものがありました。 そこで家老の吉田大八は、武士の生活を支える手内職として将棋駒の製造を奨励。 当初は強い反対にあうも「将棋は戦術を練る競技のため、その駒をつくるのは武士の面目を傷つけるものではない」と力強く説得したといいます。  さて、将棋駒には文字の入れ方で、押し駒、書き駒、彫り駒、彫り埋め駒、盛り上げ駒などの種類があります。
機械で直接スタンプを押す「押し駒」は、昭和の初め頃から大量かつ安価に生産されるようになり、将棋人口の裾野を広げることに貢献しました。 そもそも天童の駒は流麗な草書体でしたが、最近ではほとんどが楷書体になっています。 駒木地に直接文字を書いたものが「書き駒」。 「彫り駒」は、駒木地に文字を刻み込んだもの。 その彫り駒に何度も漆を塗りこみ、平らになるまで研ぎだしたものが「彫り埋め駒」。 さらに蒔絵筆を用いて、漆工芸の技法で文字を浮き立たせたものが「盛り上げ駒」。 これはプロ棋士のタイトル戦などで使われる最高級品です。 かつては貧苦にあえぐ武士の救済策として始まった将棋駒づくりですが、現在では国の伝統的工芸品(経済産業大臣指定)として認められるまでとなりました。



●太閤秀吉の逸話にならって。プロによる対局と戦国絵巻を同時に堪能。 

 出羽三森のひとつ舞鶴山が、桜色に染まる頃、将棋駒のまちにふさわしい祭りがおこなわれます。 その名も「人間将棋」は、戦国の時代、天下をきわめた豊臣秀吉が関白秀次を相手に、小姓や腰元たちを駒に見立てて、将棋の野試合に興じたという故事をもとにしています。 人間を駒にするとは、いかにも太閤らしい逸話ですね。 天童の人間将棋でつかわれるのは、15メートル四方の巨大な将棋盤。 そのうえを指し手の通りに、甲冑姿の武者や華やかな衣装の腰元が行き交う様子は、戦国絵巻さながらの美しさです。 プロ棋士による対局も見ごたえ十分。 催しの最後には、プロ棋士を相手に一般参加の百面指し。 アマチュア棋士の腕の見せどころですが、百戦錬磨のベテランに交じって、チビッコ棋士も健闘しています。



お祭りINFORMATION

 毎年4月中下旬、二千本の桜が咲く舞鶴山山頂にて開催(2004年は4月24、25日)。 午前の将棋供養際にはじまり、太鼓競演、駒武者の演武に続いて、午後から対局がおこなわれる。(1日目は女流プロ棋士、2日目男性プロ棋士)。 駒を演じる鎧武者は一般公募されている。応募資格は16歳以上の男女。参加者には記念品も。

問い合わせ:天童市観光物産協会023-653-1680



参考文献・サイト
山形県の歴史散歩/山川出版社
東北お祭り紀行/重森洋志 無明舎出版
天童市 http://www.city.tendo.yamagata.jp/


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