ルーツ探訪 2004年
2月

★ 帆手祭り(ほてまつり)
鹽竈神社(しおがまじんじゃ)/宮城県塩竈市


●時の権力者から庶民まで。多くの崇敬を集めてきた奥州一之宮。

 宮城県のほぼ中央、仙台市と日本三景松島の間に位置するみなと町・塩竈。昨年5月の当コーナーで「近海ホンマグロ水揚げ量日本一」と紹介した同市は、“奥州一之宮”とも称される鹽竈神社の門前町としての顔もあります。 平安時代初期にはすでに「大社」としての地位にあった鹽竈神社は国土開発、海上守護、製塩の神として崇敬を受け、中世には奥州藤原氏や地方豪族、江戸時代には仙台藩主伊達氏の厚い庇護を受けてきました。 現在の社殿は、四代藩主綱村が元禄8(1695)年、再建に着手し、五代藩主吉村の代まで9年の歳月をかけて造営されたものです。
 松島湾を見下ろす一森山に鎮座する鹽竈神社には、国の天然記念物「鹽竈桜」をはじめとして、林子平がつくった日時計、仙台藩主寄進の文化灯籠、博物館収蔵の太刀群、そして国の重要文化財に指定された左宮本殿などがあり、たくさんの歴史物語に彩られています。 元禄2(1689)年、当地を訪れた松尾芭蕉は「おくのほそ道」のなかで「神前に古き宝燈有り。かねのとびらの面に『文治三年和泉三郎寄進』と有り。五百年来のおもかげ、今目の前にうかびて、そぞろに珍し。」と記していますが、この「文治の灯籠」を寄進した和泉三郎とは、藤原秀衡三男の忠衡のことで、寄贈からわずか2年後、義経を護り、23歳の短い生涯を終えています。



●景気回復に鹽竈神社のご利益を。重さ1トンの神輿が市内を練り歩く。

 長らく荷揚げ港として賑わっていた塩竈でしたが、仙台藩の政策で新しい港が開かれた寛文10(1670)年頃から、入港する商船がめっきり少なくなり、町はすたれていきました。 そこで氏子たちは鹽竈神社の力におすがりしようと、天和2(1682)年、厄払いと景気回復祈願の祭りをおこないます。 一方、塩竈の衰退ぶりを見かねた四代藩主綱村により、租税の免除、市場の開設、港の整備など九か条の特例が出され、町は再び活気を取り戻します。 しかし、祭りを毎年おこなうのは贅沢だと戒められ中止したところ、火災が発生。これは神様の怒りに触れたからだと、その後は毎年欠かさず開催されるようになりました。 火伏せの祭りといわれるゆえんです。享保16(1731)年には、それまでの簡素な白木の神輿にかわり、重さ250貫(約1トン)もの黒塗りの神輿が奉納されました。 その昔は漁師町の祭りらしく、神輿が町中を奔放に練りまわり、兵庫・灘のけんか祭り、愛媛・北条祭りとともに「日本三大荒神輿」に数えられましたが、昨今では荒々しさも影をひそめ、さみしくなったと嘆く長老もいるのだとか。
 



お祭りINFORMATION

 毎年3月10日開催。午前には御神楽などの奉納がおこなわれ、12:30〜重さ1トンの神輿が烏帽子・白装束の16名の氏子に担がれ、表坂202段の急峻な石段を下る、19:30頃まで市内巡行、20時頃ライトアップされた石段を上り、還御する。 行列には火消し組、手古舞、鉄砲隊、御太刀、鷹匠、御神馬などが加わり華やか。

問い合わせ:
塩竈市商工観光課 022-364-1111



参考文献・サイト
東北お祭り紀行/重森洋志 無明舎出版
祭りを旅する5 東北・北海道編/日之出出版
祭礼行事 宮城県/桜楓社
塩竈市役所 http://www.city.shiogama.miyagi.jp/


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