チアリーディング
● 試合をじっとして観ていられなかった?!ひとりの男子学生がチアリーダーのルーツ
時は1898年11月2日。ところはアメリカ・ミネソタ州ミネアポリスの球場。白熱するフットボールの試合を観戦中、ミネソタ大学のひとりの学生が観客の前に飛び出し、大きな声援を送り始めます。「叫び(Yell)隊長」として選ばれたジョニー・キャンベルでした。この人物こそがチアリーダーの元祖。
日本では"ポンポンを持った女の子たち"というイメージが強く、実際「チアガール」という言葉をよく耳にしますが、これは造語で正しくは「チアリーダー」といいます。チアリーダーとはひとりではなく、応援を先導するグループ全員のことをいい、男女問わずそう呼ばれます。アメリカでは、現在もチアリーディングチームに所属する大学生のうち、約半数は男性です。
さて男性が中心だったチアリーダーに女性が登場し始めるのは、1920年代から。1930年代になると、それまでのメガホンに替わり、紙製のポンポンが応援の小道具として普及します。さらにその後、雨天時の屋外での活動に支障がでない様、1965年にはビニール製のポンポンがお目見えします。
1950年代に入ると、大学生のチアリーダーたちはチア技術を体系化して学ぶために、ワークショップを開始し、男性がダイナミックな器械体操を、女性はダンスで華やかさを添える役割を果たすようになります。こうして、より高度に洗練されていったチアリーディングは、1970年代にはアメリカン・フットボール、バスケットボールに加えて、すべてのスクール・スポーツの応援に参加するようになるのです。
● "応援"のためのチアリーディングは、競技会で"応援される"立場へ
プロ・スポーツで初めてチアリーディングチームを持ったのは、アメフトのボルチモア・コルツです。ダラス・カウボーイズは、プロのダンサーを率いて、"ブロードウェイ・スタイル"と呼ばれるエンターテインメント性の高いチアを考案します。そして今やNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)やNBA(ナショナル・バスケットボール・アソシエーション)は、チアリーディングを華やかなショーとして構成し、時にはゲーム以上に観客を魅了しています。1980年代に入ると、演技力を競い合うスポーツ競技として認められ、盛んに大会が開かれるようになります。「グラウンド外の華」だったチアリーダーは主役へと躍り出る機会を得たのです。競技大会では、体操競技さながらのアクロバティックな大技も飛び出すため、安全基準のガイドラインが定められています。
日本においては、1988年に協会が設立されたのをきっかけに、これまでの"応援"というイメージを超えて、自らが競技する"スポーツ"として広く知られるようになりました。現在、国内の競技人口は、大学・高校生チームを中心に、社会人・地域・ジュニアクラブチームなどを合わせて、24万人ほどとされています。