ルーツ探訪 2002年
12月

★ チアリーディング


● 試合をじっとして観ていられなかった?!ひとりの男子学生がチアリーダーのルーツ

 時は1898年11月2日。ところはアメリカ・ミネソタ州ミネアポリスの球場。白熱するフットボールの試合を観戦中、ミネソタ大学のひとりの学生が観客の前に飛び出し、大きな声援を送り始めます。「叫び(Yell)隊長」として選ばれたジョニー・キャンベルでした。この人物こそがチアリーダーの元祖。
 日本では"ポンポンを持った女の子たち"というイメージが強く、実際「チアガール」という言葉をよく耳にしますが、これは造語で正しくは「チアリーダー」といいます。チアリーダーとはひとりではなく、応援を先導するグループ全員のことをいい、男女問わずそう呼ばれます。アメリカでは、現在もチアリーディングチームに所属する大学生のうち、約半数は男性です。
 さて男性が中心だったチアリーダーに女性が登場し始めるのは、1920年代から。1930年代になると、それまでのメガホンに替わり、紙製のポンポンが応援の小道具として普及します。さらにその後、雨天時の屋外での活動に支障がでない様、1965年にはビニール製のポンポンがお目見えします。
 1950年代に入ると、大学生のチアリーダーたちはチア技術を体系化して学ぶために、ワークショップを開始し、男性がダイナミックな器械体操を、女性はダンスで華やかさを添える役割を果たすようになります。こうして、より高度に洗練されていったチアリーディングは、1970年代にはアメリカン・フットボール、バスケットボールに加えて、すべてのスクール・スポーツの応援に参加するようになるのです。



● "応援"のためのチアリーディングは、競技会で"応援される"立場へ

 プロ・スポーツで初めてチアリーディングチームを持ったのは、アメフトのボルチモア・コルツです。ダラス・カウボーイズは、プロのダンサーを率いて、"ブロードウェイ・スタイル"と呼ばれるエンターテインメント性の高いチアを考案します。そして今やNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)やNBA(ナショナル・バスケットボール・アソシエーション)は、チアリーディングを華やかなショーとして構成し、時にはゲーム以上に観客を魅了しています。1980年代に入ると、演技力を競い合うスポーツ競技として認められ、盛んに大会が開かれるようになります。「グラウンド外の華」だったチアリーダーは主役へと躍り出る機会を得たのです。競技大会では、体操競技さながらのアクロバティックな大技も飛び出すため、安全基準のガイドラインが定められています。
 日本においては、1988年に協会が設立されたのをきっかけに、これまでの"応援"というイメージを超えて、自らが競技する"スポーツ"として広く知られるようになりました。現在、国内の競技人口は、大学・高校生チームを中心に、社会人・地域・ジュニアクラブチームなどを合わせて、24万人ほどとされています。



Key Word Column

チアリーダー出身の著名人

 チアリーディングの根底に流れるのは「人を明るい気持ちにし、勇気づけ、元気づける」応援の精神です。そのため、国を問わず地域のボランティア活動などに積極的に取り組む姿が見受けられます。とりわけアメリカの高校や大学では、チアリーダーは成績も良く、リーダーシップの力があると認められます。
 映画や音楽の世界で活躍している人のなかには、チアリーダー経験者も少なくありません。その一部をご紹介すれば・・・サンドラ・ブロック、キャメロン・ディアス、ローリン・ヒル、マドンナ、カリスタ・フロックハート、サミュエル・L・ジャクソン、スティーブ・マーティン、マイケル・ダグラス、カーク・ダグラス、ユマ・サーマン、シェリル・クロウ、メリル・ストリープ、キム・ベイシンガー・・・などなど。
 政治家では、32代合衆国大統領のフランクリン・D・ルーズベルト、同34代ドワイト・D・アイゼンハワー、同40代ロナルド・W・レーガンなどが挙げられます。いずれも「観客を魅了し、惹き付ける表現競技=チアリーディング」で、自らを磨いてきた各界のスターたちです。

参考文献

日本チアリーディング協会   www.jca-hdqts.org
チアパラダイス・ドット・コム www.cheerparadise.com

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