水泳(競泳)
● 生活や闘いの実用術から、体育としての水泳、そしてスピード重視の近代水泳へ
「地球は青かった」とは人類初の宇宙飛行士、ソ連のガガーリンの有名な言葉。表面の70パーセントが海という地球は、まさに水の惑星。そんな星に暮らす人間がいつ頃から泳ぎ始めたか?については、想像を巡らすしかありませんが、漁獲や交通、戦闘などの生きる術として、さまざまな状況下で泳ぐ必要に迫られたことでしょう。古代ギリシアには「文字も泳ぎも知らないものは無教養」という言葉があり、水泳は教養人のたしなみのひとつとされていたようです。中世においても騎士の武芸訓練として奨励されますが、伝染病が蔓延すると、その原因であるとして禁じられるようになります。
水泳復権の兆しが見えるのは1538年。ドイツの教育者によって世界最初の指導書「コリムベーテス(水泳者)」が著されます。そして17〜18世紀、ロックやルソーといった哲学者・思想家によって、水泳の教育的価値が主張されると、ヨーロッパ各地には大きな川を利用したプールが出現します。19世紀になると、イギリスの新興資本家による賭けレースが盛んに行われ、泳ぎにスピードが求められるようになります。抵抗を小さくするために、顔を水につけたフォームとなり、呼吸法が工夫され「近代泳法」の基礎がつくられます。1869年にはアマチュア水泳協会の前身であるメトロポリタン水泳クラブ協会が結成され、1877年第1回イギリス水泳選手権が開催されたのを契機に、競技スポーツとしての水泳は世界へ広がっていきます。1908年ロンドンで国際水泳連盟(FINA:競泳、水球、飛び込み、シンクロナイズドスイミングなど水泳競技にかかわる国際機関)が組織され、ルールなどが定められると、新記録をめざして各国がしのぎを削りながら発展していきます。
● 初参加五輪の惨敗をバネに。近代泳法の導入が「水泳ニッポン」の原動力
日本では水泳のことを古くは水練などといい、用兵武術のひとつとして発達、独自の「日本泳法」が編み出されました。オリンピックの水泳競技に日本が初めて参加した1920年のアントワープ大会では、斎藤兼吉、内田正練両選手が日本古来の泳法でレースに臨みますが、結果は惨敗。しかし、この大会を機に日本にもたらされたのがクロール泳法をはじめとする「近代泳法」であり、十数年後の黄金時代を築く礎となったのです。
1928年のアムステルダム大会では、男子200メートル平泳ぎで鶴田義行が初めての金メダルを獲得。1932年のロサンゼルス大会では男子4種目と男子800mリレーで優勝、続く1936年のベルリン大会では前畑秀子をはじめとする3選手と男子800mリレーで金、とメダルラッシュが続きます。しかし近年は、科学的なトレーニングを導入したオーストラリアや厚い選手層をもつアメリカが主流となって、競技記録の更新を続けています。2000年のシドニー・オリンピックでは男女13種目で世界新が出るなど、水泳競技の進化にはめざましいものがあります。