ルーツ探訪 2002年
5月

★ テニス


● 始まりは"手のひらのゲーム"。100年前までに4大大会そろいぶみ

 多くのスポーツと同様、テニスの起源についてもはっきりとした記録が残っていません。しかし、一番近いルーツとされているのが、12世紀のフランスの修道院などで行われていたジュ・ド・ポーム(手のひらのゲーム)です。文字通り球を手のひらで打ち合うゲームは、王侯貴族や僧侶などの特権階級の間で楽しまれていました。とりわけ歴代のフランス国王は好んでプレーしたようで、かのベルサイユ宮殿には「テニスの間」がつくられたほど。ジュ・ド・ポームは徐々に庶民の間にも広まり、賭け(ギャンブル)の対象になったこともあり、盛んに打ち興じられるようになります。最盛期の17世紀には、パリ市の人口30万人に対して、250ケ所ものコートがあったそうですから、ブームのほどが想像できます。ちなみに、現在のようなガット(羊の腸)が張られたラケットが発明されたのは、14世紀のイタリアでした。
 こんにち行われているテニスの直接の祖先が誕生するのは、1874年2月。イギリスのウィングフィールド少佐がローンテニスという新しいスポーツの特許を申請します。しかし、そのコートの形は長方形ではなく、上から見ると中央部がくびれた砂時計のような形をしていました。その上、ネットの高さは1.5メートルもあったため、山なりのボールを打ち合うものでした。
 1877年、オールイングランド・クリケットクラブでローンテニスが競技として採用されることとなり、同時にルールも改訂され、より現在のテニスに近いものになります。同年、第1回全英選手権(ウィンブルドン)が開催され、1881年には全米、1891年には全仏、1905年には全豪と、今から100年ほど前には、世界の4大大会がせいぞろいします。



● 用具不足を補う工夫から生まれた軟式テニス。ソフトテニスとして世界へ

 1878(明治11)年、日本政府の招きで来日したアメリカ人のリーランド博士によって、ローンテニスが伝えられました。しかし、当時のテニス用具はすべて輸入品でかなり高価なものであり、特に消耗品のボールは、入手が困難だったため、代用品としてゴムボールを使ってプレーするようになります。ここに日本独特のテニス"軟式テニス"が生まれます。100年の歴史を重ね、国際的にも認められるスポーツとなった軟式テニスは、1992年4月から「ソフトテニス」と改められ、世界中の人々に親しまれるようになりました。
 さて、日本のテニス発祥地とされているのが、1878(明治11)年、横浜山手公園内にできたテニスクラブです。ここは女性中心のクラブでしたが、プレー時の正式な服装は、広いつばと飾りのついた帽子にロングスカート、白の長手袋と定められていました。男性に至っては、白い山高帽にブルーの燕尾服、白いベスト、手袋、エナメルの長靴というものでした。その頃は、現在のようにパワーとスピードを競うのではなく、あくまでも優雅さで対抗するスポーツだったのでしょうね。



Key Word Column

ラブ(LOVE)

 テニスでポイントを数える時に、0(ゼロ)をラブといいます。どうしてだろうと思ったことはありませんか。まことしやかに伝わるのが"昔々、ゼロを卵に見立てたフランス人がl'oeuf(ルフ)と呼んでいたが、イギリスに伝わる段階でラブと間違えてしまった"というもの。
 また、もうひとつ「to play for the love of game」(ゲームが好きだからプレーする)のLOVEに由来するという説があります。昔、テニスはしばしば賭けの対象になりましたが、0点だった時の負け惜しみとして、「自分はお金のためではなく、楽しむため、ラブのためにやったんだ」と言ったことから始まったとされています。
 さて、フランス人は、ゼロを卵になぞらえましたが、日本ではゼロを「だんご」と呼ぶことがあります。例えばゲームカウント6−0で勝った場合、「だんごで勝った」「だんごを食らわせた」などといいます。ラブゲームを取るのは、だんごほど甘くはないですよね。

参考資料
スポーツの歴史/レイモン・トマ著 蔵持不三也訳 白水社
テニス『基本の基本』/佐藤雅幸         学習研究社
ソフトテニス/若月道隆             日本文芸社

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