ルーツ探訪 2002年
3月

★ ゴルフ


●ヨーロッパ北西部の子どもの遊びが、スコットランドへ渡り、ゴルフとして発達

フェアウエイにも緑が戻り、いよいよ本格的なゴルフシーズンの到来です。
日本のゴルフ人口は約1000万人。ゴルフコースは約2400あるといわれますが、これはイギリスとアイルランドのコースを合わせた数に匹敵するそうです。多くの日本人を魅了してきたゴルフのルーツはどこにあるのでしょうか。
 よく知られているゴルフの起源説に、スコットランド人が唱える"セント・アンドルーズの羊飼いの遊びから始まった"というものがあります。これは「海岸のリンクスで羊に草を食べさせている間、暇を持て余した羊飼いが、杖の先で小石を打ち始めた。そのひとつがウサギの穴へ。これはおもしろい!と仲間との競争が始まり、現在のゴルフに発展した」というものです。しかしゴルフを"小さなボールを先の曲がった棒で打って、地面に掘られた穴に入れるゲーム"と定義すると、フランダーズ地方(現在のベルギーを中心とし、オランダ・フランスの一部を加えた地域)の子どもたちの間で、古くから同様の遊びが行われており、その様子を描いた絵も残されています。こんにちでは、ゴルフはヨーロッパの北西部において基本的な形ができあがり、15世紀の初めにスコットランドの東海岸へと渡ったという見解が、英米のゴルフ史家の間でも定着しています。近年、それを裏付ける証拠として、15世紀末にオランダ南部の港からスコットランドへ向けて、数回に渡ってゴルフボールが輸出されていたことを示す記録が発見されています。



●スコットランドのみんなのスポーツが、イングランドでは富裕層のレクリエーションに

 スコットランドに渡ったゴルフは、誰もが参加できるレクリエーションとして発展し、身分階層や老若男女を問わず、盛んに興じられました。あまりに加熱するゴルフブームを見かねた、時のスコットランド王は「武芸の鍛錬を怠る」という理由でたびたびゴルフ禁止令を出したほど。しかし、同じ年代に、前述のオランダからのゴルフボールの輸入は続けられており、禁止令の中でも隠れて(!)ゴルフを楽しんでいた人がいたことを想像させます。
 18世紀に入って、イングランドにもたらされたゴルフは上流階層の遊びに取り入れられ、19世紀後半には新興富裕階層のステータスシンボルとしてのスポーツに発展していきました。日本へは、スコットランド流の「みんなのゴルフ」としてではなく、イングランド風の「特別な人たちのスポーツ」として入ってきました。近年まで、ゴルフが民衆のためのスポーツとして認知されにくかったのは、こうした背景があるからだといわれています。
 日本ではじめてゴルフ場がつくられるのは、1901(明治34)年。イギリス人の貿易商アーサー・ヘスケル・グルームが神戸の六甲山に4ホールのゴルフ場を設立します。2年後には9ホールとなり、「神戸ゴルフ倶楽部」を発足。グルームはスコットランド人の友人2人とともにコースを開発したと見られ、「英国人が3人集まればコースをつくる」ということわざを見事に証明したことになります。



Key Word Column

リンクス

 ゴルフの起源はヨーロッパの北西部(ベルギーやオランダ)にあると述べましたが、それではなぜその地方が、ゴルフの中心地とならなかったのか?という疑問が残ります。その理由のひとつには自然地形条件が挙げられるでしょう。ゴルフが、こんにちのようなゲームに発展するためには、スコットランドの海岸沿いの広大な土地、「ゴルフが始まる前からコースがあった」といわれるリンクスが必要だったのです。現在ではゴルフコースそのものをリンクスと呼びますが、そもそもはスコットランドの海岸段丘やヒースの繁る草原のことをいい、17世紀の初頭まで、ゴルフコースといえばほとんどがこのリンクスでした。今でも、セント・アンドリューズやミュアフィールド、イングランドのロイヤル・バークデールなど全英オープンを開催するコースはすべてリンクス。厳しい風土が長い時間をかけて作りあげた難コースは、あるがままの自然との闘いの場でもあるのです。

参考資料
ゴルフを知らない日本人/市村操一  PHP新書
日本ゴルフクラブ史/斉藤今朝雄   廣済堂出版

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