ルーツ探訪 2002年
1月

★ 剣道


●長い歴史のなかで、実戦と探究を重ねて編み出された"剣の道"。

 まだ夜も明けきらぬ早朝、そこだけ明るく灯された道場から「エーイ」「ヤーッ」と気合いのこもった掛け声が聞こえてきます。暦のうえで最も寒さが厳しくなる寒の入り(1月5日頃の小寒)から立春(2月4日頃)の前日までの1ケ月間に行われるのが寒稽古です。根性を養い、心身の鍛練をはかる寒中の稽古は、剣道、柔道、弓術などの武芸のほかに伝統芸能なども。いずれも、見ている方が寒いという共通点(!)があります。さて、2002年第1回目のルーツ探訪は、防具姿も凛々しい「剣道」の歴史について探ってみましょう。
 剣道とは「剣の道」。紀元前2〜3世紀頃、大陸から伝来したとされる刀剣は、遅くても7〜8世紀には、国内での製造が行われるようになったと考えられています。平安時代になると、地方の豪族は領地を守るために、身内や家来とともに武芸に励むようになります。これが武士の起こりです。加えて、平安中期から末期にかけて続出した実戦の経験を経て、武士たちは日本独特の剣術をあみだし、こんにちの剣道の基礎をつくります。室町時代中期以降は、武士は立身出世のため、一般の人々も自衛のための熱心に剣道に取り組むようになります。のちの剣道流派のほとんどは、この頃に生まれています。



●不遇の時代を乗り越えて、心身を磨き鍛えるスポーツとして復活。

 江戸時代になると剣術は武芸のひとつして広く奨励され、内容や形式が洗練されるとともに、剣法として体系化されていきます。また、泰平の世の中では、実戦的な剣法から、技の華麗さを求める傾向が強くなってきました。そうした潮流を受けて、各流派がどんどん分立し、その数は200を超えたといわれています。
 注目すべきは江戸中期に、防具と四ツ割の竹刀(しない)が考案され、「竹刀打込稽古」方式の修業が始まったことでしょう。これが現在の竹刀剣道の起源です。
 その後の明治維新により時代は大きく様変わりしますが、剣道とて例外ではありませんでした。明治9(1876)年、廃刀令が下されると、剣術は活躍の場を失い、衰退の危機に直面します。が、翌年の内戦を機に見直される気運が高まり、明治末までには中学校や師範学校の科目に用いられるようになりました。
 第二次世界大戦後は、非軍事化の一環として、学校における剣道は全面的に禁止されます。しかし昭和25(1950)年、全日本撓(しない)競技連盟が発足、剣道を通じて肉体・精神両面の修練をめざすスポーツとして、2年後「しない競技」が学校教育の教材として取り入れられるようになります。同年10月には、全日本剣道連盟が結成され、剣道は武道スポーツとしての再出発を果たしました。
 昭和45(1970)年、国際剣道連盟が結成され、武士の心の美が具現された剣道はどんどん世界へと広まっていき、現在カナダ、アメリカ、イギリス、韓国、ドイツ、ブラジル、フランスなどで、多くの人が"剣の道"を志しています。



Key Word Column

残心(ざんしん)

 生死を分ける真剣勝負の場で、培われてきた剣道。戦いの場では、相手を十分に打ったと思っていても、いつ再び立ち上がり、隙をついてかかってくるかわかりません。「残心」とは、打突が終わったあとでも、少しも油断せず、次に起こるどんな変化にも直ちに応じられるように、心と身体を構えることをいいます。しかし、それは意識的になされたのでは本当の残心とはいえないそうですから、門外漢には計り知れない奥深さがあるようです。
 剣道の試合における有効打突(一本)の定義にも「充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で筋正しく打突し、残心あるものをいう」とある通り、たいせつな心得、姿勢とされています。

参考資料
剣道/平川信夫著  ベースボール・マガジン社
最新スポーツルール百科2000/大修館書店
財団法人全日本剣道連盟「全剣道のしおり」

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