ルーツ探訪 2001年
12月
Q  教えて下さい。

 私はお正月に食べるお雑煮が大好きです。これは、いつ頃から、どういう理由で食べられるようになったのですか? (山形県 お年玉さん)


A  お答えします。

●神様のお下がりを、雑煮にしていただく

 昔ながらの習わしや美風が忘れられつつある今日ですが、「お正月には雑煮を」という習慣は連綿と伝え継がれているようです。もともと雑煮は儀式料理で、年始だけではなく年中行事や祭りなどの際に、ハレの日のご馳走としてつくられていました。正月に食べる風習が定着したのは、室町時代の末期。応仁の乱(1467〜77年)が終わった頃、という具体的な説もあります。
 年越しの夜、その土地でとれた海山の幸や餅を神に供え、無事に新年を迎えられたお祝いに、そのおさがりをいただいて調理したのが、雑煮のルーツのようです。そもそもは「烹雑(ほうぞう、烹は煮のこと)」と呼ばれていて、その由来は、餅をはじめとしてさまざまな食材が入っているので、五臓が温まり、保養されるという意味の「保臓(ほうぞう)」からきているといわれます。確かに具だくさんの雑煮を食べると、体がポカポカしてきます。
 そして全国には、材料やダシ、味付けが異なる多種多彩な雑煮があります。味付けに関しては、はじめは味噌仕立てのようでしたが、江戸時代に入ると醤油の澄まし汁が登場します。江戸で味噌を使わないのは、武家が「ミソをつける」という言葉を忌んだためだといわれますが、背後に銚子、野田などの醤油産地を抱えていたからという理由の方が有力です。この味分布は、現在でもあまり変わらないようで、近畿地方と香川、徳島、福井、三重の各県が一般的に味噌味。それ以外の地域は、醤油仕立てが多いそうです。また、もちの形は東日本が切り餅・角餅、西日本が丸餅といわれていますが、雑煮の餅が神への供え物だったことから考えると、西日本のほうが古いようです。角餅と丸餅の境目は、近畿地方の東端あたりとか。さて、みなさんのお宅では?



●温故知新の心意気で、一人ひとりがルーツ探訪

 われらが法師宗のホームグラウンドである一関市と、北上川沿いのお隣の町平泉・花泉は、「もちの里」「もち文化の地」です。かつてこの地域では、餅料理は祝儀のみならず、不祝儀の本膳料理にもなっていました。白餅の食べ方(調理法)だけでも15種以上あり、お馴染みの小豆、きなこ、ごまから始まり、じゅうね(エゴマとくるみ)、ずんだ(枝豆をつぶして甘く味付け)、ふすべ(ふすべるは辛いの意、唐辛子入り)、おろし(大根下ろし)など郷土色たっぷり。古くから有数の穀倉地帯だった当地では、うれしさと共に餅をつき、悲しみを分かち合うべく餅を振る舞い、感謝を込めて餅を捧げてきました。しかし、生活環境や習慣が大きく様変わりした現在、こうしたゆかしい習わしが忘れ置かれたままになっているのも事実です。「古きをたずねて新しきを知る」・・・21世紀を生きる私たちは、いつでもいつまでも、この意味を真摯に受け止めていきたいものです。



ことわざdeなるほど
 現在では、餅つきの光景を見掛けることはほとんどありませんが、江戸の町には、師走も押し迫ってくると「引きずり餅」といって、かまど、せいろ、臼、杵、薪などの道具を担いで、家々の庭先で餅つきをして歩く業者がいたそうです。まさに「餅は餅屋(物事はそれぞれの専門家に任せるのがよい)」ですね。
 「開いた口へ餅(何の努力もしていないのに、思いがけない幸運が訪れること)」や、「棚からぼた餅」ご存知"たなぼた"は、その昔、餅がたいへんな高級品だったことを意味しています。さらに「餅に砂糖」ともなれば、話がうまくできすぎていることのたとえ。そういうときは「意見と餅はつくほど練れる(人の意見には従えば従うほど利するところが大きい)」にならって、信頼できる人に相談してみるのが得策。
 さて師走。一年の来し方をふりかえるとともに、来年の目標もしっかりと定めてみたいもの。でも「絵に描いた餅(計画や企画だけは立派だが、実行が伴わない)」にだけは、ならないようにしたいものですね。



参考資料
もち(渡部忠世、深澤小百合著)/法政大学出版局
たべもの歴史探訪(小柳輝一著)/時事通信社
語源辞典(山口佳紀編)/講談社
現代こよみ読み解き事典(岡田芳朗、阿久根末忠共著)/柏書房
岩波ことわざ辞典/岩波書店

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