ルーツ探訪 2001年
11月
Q  教えて下さい。

 11月の酉(とり)の市では、縁起モノで派手に飾り立てられた「熊手」が売り買いされますが、どうして売られるようになったの? (埼玉県 名無しさん)


A  お答えします。

●農具を売る市から、福をとり(酉)こむ日へ

 熊手のルーツ探訪!その前に「酉の市」の由来についてお話しましょう。11月の酉の日(年によって2〜3回ある)に、東京浅草の鷲(おおとり)神社など、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀る全国の大鳥神社で行われる祭礼に立つ市が「酉の市」です。古くは「酉の祭(とりのまち)」といい、また親しみを込めて「おとりさま」とも呼ばれます。酉の市がいつから始まったのかは明らかではありませんが、江戸中頃の享保年間(1716〜1735)の文献にその記述がありますし、宝暦・明和年間(1750〜1771)には、たくさんの人で賑わう年中行事として定着していたようです。
 そもそも酉の日は、語呂あわせのトリコム、トリイレルから農事に縁起の良い日と考えられ、この日に各地の大鳥神社で祭礼が行われていました。江戸時代になると、その門前に収穫物の里芋や農具を売る市が立つようになります。初めの頃は、すき、くわ、鎌、おの、臼、杵などの農具全般が売買されていましたが、なかでもほうきと熊手が"物をハキコム、トリコム"という縁起に結びつくため、盛んに売られるようになります。やがて熊手の内側に、おかめの面や米俵、恵比須、大黒などの"縁起物"を取り付けたものが登場します。いよいよ飾り熊手の誕生です。まさに酉(取り)の日に、熊手で「福をかっこんで、取り込んで」家に招く、というわけです。 現在では数十種類の差し物(縁起物)で満艦飾の熊手と、それが売れると行われる祝いの手締めがテレビのニュースなどで取り上げられ、酉の市は11月を代表する風物詩となっています。



●東の飾り熊手、西の福さらえ。招福の縁起はおなじ

 「福をかきこむ、とりこむ」招福アイテム、熊手。東の代表が酉の市の「飾り熊手」ならば、西は十日戎(とおかえびす)で売られる「福さらえ」です。熊手の内側に、爪が見えなくなるほど飾り立てる酉の市の熊手、一方、福さらえは熊手の外側(爪が外を向くよう)にあっさりとシンプルに縁起物をつけます。また、完成品を買う飾り熊手に対して、福さらえは熊手や箕(み)、福笹といった基本グッズに、買い手がおのおの「吉兆」という差し物(タイや大黒、恵比須、おかめ、米俵、大判小判、サイコロ、鈴など)を購入して飾るといった違いもあります。さしずめ縁起のトッピングといったところでしょうか。
 ちなみに今年(平成13年)の酉の日は、一の酉11月6日、二の酉11月18日、三の酉11月30日です。三の酉まである年は火事が多いという俗信があります。向寒の折、くれぐれも火の用心、お忘れなく。



ことわざdeなるほど
 熊手を賑々しく飾るのは、"縁起良し"の差し物です。その代表選手は、タイを抱えた恵比須さまと、打ち出の小槌を掲げた大黒さま。「借りる時の恵比須顔、済(な)す時のえんま顔」〜ありがたく借りたのに、いざ返す段になると無愛想なふくれっ面。ちょっと思い当たるフシがありませんか。「ねずみは大黒天の使い」〜火事や地震などが起きる前には、ねずみがいなくなるという現象があるそうです。大切な穀物を荒らす敵と見なされるねずみも、味方を変えれば災いから守ってくれる福の神というわけです。タイといえば「いわし網へタイがかかる」〜想像もしない意外な収穫や、思いがけない幸運をつかむことのたとえです。酉の市では、"熊手に福運がかかる"ですね。
 招き猫と小判も、飾り熊手の常連さんです。「猫に小判」〜どんなに高価なものでも、その価値を知らない者には何の意味も、ありがたみもないということ。飾り熊手もありがたく思ってこそ、の招福グッズ。そうすれば、「猫の手も借りたい」ほどの商売繁盛、間違いなし?


参考資料
開運!招福縁起物大図鑑(日本招福縁起物研究会編)/ワールドマガジン社
生活ごよみ冬の巻(千宗室、千登三子監修)/講談社
日本の年中行事(弓削 悟編著)/金園社
岩波ことわざ辞典/岩波書店

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