ルーツ探訪 2001年
9月
Q  教えて下さい。

 夏から秋にかけて、日本は台風に見まわれます。現在のような気象情報がなかった昔は、たいへんな脅威だったと思うのですが・・・。(広島県 雷神さん)


A  お答えします。

●老漁師のひとことで暦に登場「二百十日」

 大きな風害や洪水をもたらし、時には多くの生命を奪う台風。折しも、稔りの季節であり、収穫間近な農作物への被害もたいへんに心配です。そこで台風の襲来を警戒すべき日として雑節(ざつせつ:節分、彼岸、八十八夜など季節毎の行事を示したもの)に掲げられているのが「二百十日(にひゃくとおか)」です。二百十日とは、立春から数えて210日目に当たる日、新暦では9月1、2日頃をいいます。現在、9月1日は防災の日となっていますが、これは大正12年9月1日に起きた関東大震災の教訓をいかそうとのことからです。
 二百十日が厄日として、暦に記載されるようになったのは、徳川5代将軍綱吉の頃から。これには当時、暦編纂(へんさん)係をしていた渋川春海のエピソードがあります。ちょうど二百十日にあたる日、春海はいつものように品川沖に釣りに出かけようとします。そこへ老漁師があらわれ、お待ちなされと声を掛けます。「今日は立春から数えて210日目にあたり、私の50年来の経験によれば、このような日は大荒れになるから、舟を出すのはやめたほうがよい」。果たしてその日は暴風雨となり、この現象に注目した春海は、貞享(じょうきょう)暦に新たに書き入れたということです。老漁師同様、農家の人々も暦に登場する前からこの日が荒日(あれび:天候の悪い日)となることを経験的に知っており、台風を引き起こすと考えられた風の神を鎮める祈願や祭りをおこないました。なかでも有名なのが、富山県婦負郡八尾町で9月1日から3日間おこなわれる「越中おわら風の盆」です。これは、民謡のおわら節にのって、町の人々が夜を徹して踊り、風の災厄を踊りに巻き込んで送り出す祭りです。ほかにも各地で、風害をもたらす神を封じこめようとする風祈祷や風祭りが盛んにおこなわれてきました。



●アジア名の台風。身近なのは、名前だけに

 昔は風の神のしわざと考えられた台風も、いまでは気象衛星から送られてくるデータをもとに詳しい予報がなされるようになりました。台風は年間約28個発生しており(1961〜1999年までの平均)、年平均3個が日本へ上陸しています。また上陸は免れても年平均11個が、日本から300km以内に接近しており、天候に大きな影響を与えています。これまで、台風にはアメリカが英語名をつけていましたが、2000年1月1日からはアジア名が使われるようになりました。名前は、国連のもとにある台風委員会(事務局フィリピン、日本、中国、韓国、タイ、マレーシア、ベトナムなど14の国と地域で構成)の加盟国が提出した計140個の言葉が順次つけられていく仕組みになっています。ただし、日本の気象庁は国際向けの情報としては新しい呼称を用いますが、国内向けの情報では引き続き台風○号といった通番のみを使うこととしているようです。



ことわざdeなるほど
 暴風ともなれば、時には建造物や大木をなぎ倒す破壊力を持ちます。そんななかでも微動だにしないように見えるのが、山です。「風は吹けど山は動かず」とは、まわりが騒ぎ立てても少しも動じることなく、自己の信念を貫くことのたとえ。まさに正真正銘の大人物といえますが、もし人の上にたつ立場ともなれば、なにかと風当たりが強いようで「大木は風に折られる」心配がでてきます。社会のうえに立って目立つものは、とかく妬みや恨みを買うことになるから、われら庶民は「分相応に風が吹く」がいちばんといったところでしょうか。ここでの"分"とは境遇とか身の程の意。つまり、人はみなそれぞれ立場や身分に応じた生活をするものだということです。しかし、"今にみていろ俺だって!"そうです、その意気!「明日は明日の風が吹く」のたとえの通り、物事の成り行きはどうなるかわかりません。「柳に風折れなし」柔軟に対応できるものは、きつい試練にも耐えることができるのだとか。チャンスの前髪をつかむには、何事にもしなやかな考えや態度でのぞむ必要がありそうですね。


参考資料
現代こよみ読み解き事典(岡田芳朗、阿久根末忠 編著)/柏書房
日本人の「しきたり」ものしり辞典(樋口清之監修)/大和出版
岩波ことわざ辞典/岩波書店

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