教えて下さい。
雛祭りのお飾りについてですが、男雛、女雛、左右どちらに飾るのが正しいのでしょうか?(新潟県 辺見さん)
お答えします。
●女の子の健やかな成長と幸せを願って。
ご質問にお答えする前に、雛祭りのルーツについてちょっとふれてみます。雛祭りは、人日(じんじつ=正月七日、七草の節供)、端午、七夕、重陽(ちょうよう)とならぶ五節供のひとつ、上巳(じょうし)の節供です。私たちには桃の節供としておなじみですが、こちらは女の子のお祭りにふさわしい華やかな呼び名ですね。
上巳の節供とは、3月のはじめの巳(み)の日に、水辺に出て禊(みそぎ)を行い、お酒をくみ交わして災厄(さいやく)をはらった古代中国の行事です。この風習が日本に渡ってくると、神事のお祓いとなり、草や紙でつくった人形(ひとがた)で体を撫で、災いや穢れなどを移して、海や川に流す習俗となりました。これは今でも風雅な「流し雛」として、鳥取や和歌山県の一部で伝承されています。
やがて「人形信仰」に使われた簡素な人形が、技術の進歩とともに装飾的なものとなり、観賞用として愛でられるようになっていきます。そして今日のように雛壇のうえに飾られるようになったのは、江戸時代の初め。徳川家康の孫娘で、後水尾天皇の中宮として入内した東福門院和子が娘・興子(おきこ)内親王の幸せを祈ってつくった座り雛が、その始まりといわれています。
●京都式?東京式?それぞれにワケがあります。
さて、ここからが本題です。現在、男雛は右(向かって左)、女雛は左に飾ります。しかし、京都では男雛を左(向かって右)、女雛を右に飾ることが多く、これは、左上位であった宮廷儀式の伝統にしたがっているものです。
前に、東福門院和子が娘・興子内親王のために飾り雛をはじめたと述べましたが、興子内親王はやがて即位して、奈良時代以来860年ぶりの女帝・明正天皇となります。江戸では、徳川家の流れをくむ天皇にあやかり、女雛を上位の左に置いたという説もあります。しかし、当時の江戸の風俗画などを見ると、特に決まりはなかったようで、それがおおいに意識されることになるのは、明治23年以降のことです。
この年の2月11日(現:建国記念の日)、全国の小学校に対して御真影(天皇・皇后のお写真)が下賜されましたが、明治天皇は右(向かって左)、皇后は左になるように立たれていました。これは文明開化の時代の流れを受けて、右上位の国際儀礼にのっとったものです。さらに昭和3年秋、昭和天皇が即位の御大礼をあげられた際の写真も、天皇は右に、皇后は左に並んでおられ、以後、東京式の内裏雛の位置は、男雛が右(向かって左)、女雛が左という形が定着したといわれています。
日本古来の伝統に基づいた京都式と、新しい時代を映した東京式。それぞれに歴史と理由があって、どちらが正しいということはないようですね。