ルーツ探訪
2000年
10月
▼どうして10月は「神無月」なの?

●全国の神々は、出雲へお出掛け・・・神無月?

 1月から12月までの各月には、それぞれに由来や語源を持つ、美しい響きの和風の呼び名があります。今回のテーマ、旧暦10月の異称「神無月(かみなづき、かんなづき)」はどんな由来をもつのでしょうか。
 最も知られているのが、諸国の神々が縁結びの相談をするため、出雲大社に集まるので、各地方からいなくなるというもの。一方、神を迎える島根県出雲地方では「神在月(かみありづき)」と称しています。しかし“神の留守説”には異論も多く、『10月は雷が鳴らなくなる月、つまり「雷なし月」である』という意見、また『神無月の「無」は「の」で「神の月」を意味する』というもの、さらには『新酒を醸(かも)す月、「醸成月(かみなんづき)」からきている』という説もあります。
 さて、神々の留守を預かる神といわれるのが、恵比須(えびす)神。昔から関東地方の商家では、旧暦10月に、家運隆盛・商売繁盛を祈って「恵比須講」を開いたので、それに出席する恵比須は出雲大社に行くことができない、また一説では、置き去りにされた、かわいそうな恵比須様をお慰めしようと恵比須講が始まったともいわれています。



●福を呼ぶ神、七福神せいぞろい。

 恵比須神は、七人のめでたい神様「七福神」の一人。七福とは経典の「七難即滅、七福即生」に由来するものといわれ、福神として信仰されていた神々が、室町時代になって「七」に整えられたといわれます。現在でも正月に七福神詣が行われるなど、瑞祥の象徴として尊ばれています。
 右手に釣り竿、左手に鯛をかかえた恵比須は、漁業、農業、商業の守り神。恵比須とならぶ福の神が、大きな袋を肩にして、打ち出の小槌をもった大黒天(だいこくてん)。仏法を守護する軍神とされるのが多聞天ともいわれる毘沙門天(びしゃもんてん)。蓮華の上に座って琵琶を奏でる眉目秀麗な女神は、福徳・知恵・財宝の神といわれる弁財天(べんざいてん)です。鹿を従えているのが長寿の神、寿老人(じゅろうじん)。また福禄を授ける福禄寿(ふくろくじゅ)は、手に宝珠と枕を持ち、鶴を従えています。大きな袋を背負った布袋(ほてい)を信仰すると子宝に恵まれ、大人物になれるといわれています。



●タイのめでたさに、アヤカリタイ。

 商売繁盛の神、恵比須様が抱えているのが「鯛」。古来、タイほど日本人に愛された魚はありません。日本各地の貝塚からは、必ずといっていいほど、マダイやクロダイなどの骨が見つかりますし、奈良・平安時代には朝廷への貢ぎ物として、また宗教儀式の供物として欠かせないものだったようです。
 大きなものは1メートルにも達するという、鮮やかな紅を帯びた雄姿は、祝い魚の筆頭にふさわしいもの。食べては、クセのない繊細な味わいもまた絶品。どんな料理法でも“うま味”が堪能でき、さらには身をはじめとして、頭や内臓、皮、中骨・・・と1尾のすべてをあますところなく利用できるのもタイならでは。姿良し、味良し。まさに「魚の王様」です。
 さて、タイといえば通常「マダイ」のことをいいますが、実際には日本沿岸だけでも「○○ダイ」と呼ばれるものが300種以上も存在します。これは日本産の魚類の約1割に相当する数なのですから驚きです。鮮魚売場で単に「タイ」として売られているもののなかには、マダイとは縁遠い魚であることも珍しくありません。まさにタイの人気にアヤカリタイといったところですね。



参考資料
「年中行事事典」/三省堂
「年中行事を科学する」永田久/日本経済新聞社
「食品図鑑」/女子栄養大学出版部


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