ルーツ探訪
2000年
7月
▼七夕は、なぜ「たなばた」と読むの?

●中国から伝えられた、浪漫あふれる恋物語。

 中国では古くから牽牛星(けんぎゅうせい)が農事を、また織女星(しょくじょせい)が養蚕、糸や針をつかさどる星として信仰されていました。天の川をへだてる、この二星のロマンチックな物語が生まれるのは、後漢(25〜220年)以降のこと。陰暦の七月七日に両星がもっとも近づくことから、年に一度の逢瀬の日であるという伝説に発展したようです。天文学的には、わし座のアルタイルである牽牛星は、地球から16光年、琴座のベガである織女星は、同じく26光年の距離にあります。まさに時空を超えた恋ですね。
 この二星を祭って、裁縫や書道などの上達を願う「乞巧奠(きこうでん)」という風習も中国に始まり、奈良時代に日本へ伝わります。その名残として今でも行われているものに、七夕の前日、普段使っている硯や机を洗い清め、手習いや学問の上達を祈る「硯洗(すずりあらい)」があります。



●文字は中国渡来、読みは日本独自の行事から。

 それでは、なぜ七夕は「たなばた」と読むのでしょうか。古来日本では7月7日の夜、人里離れた水辺につくられた棚で、乙女が機(はた)を織り、神を迎えて禊(みそぎ)を行う信仰行事がありました。この乙女を「棚機(たなばた)つ女(め)」と言い、これが天平年間に中国から伝わった織女伝説と結びついて、今日の七夕の風習ができたのではないかといわれています。つまり、「七夕」の文字は中国から、「たなばた」という読みは日本独自の行事から、というわけです。
 七夕にまつわる伝承には、それぞれのお国柄が出ていて、興味深いものがあります。例えば、中国の古典では天の川を渡るのに橋が登場しますが、日本の和歌では舟が多いようです。また中国では織女が牽牛のもとを訪れるのに対し、わが国では牽牛が織女のもとに通っています。当時の家族制度や婚姻の形がしのばれます。
 “星の恋”“星合(ほしあい)”“星の契り”などと呼び、二星の恋物語に恋いこがれたのは万葉歌人たち。「万葉集」には七夕の歌が120首あまりも登場します。夜空を見上げて、星のまたたきに想いを馳せるひととき・・・私たちも大切にしたいですね。



●七夕にそうめんを食べて、疫病除け。

七夕には、そうめんを食べる習慣が今も各地に残されているようですが、それは次のような故事に由来しています。『中国古代の伝説の王、 (ていこくこうしんし)の子が七月七日に亡くなり、一本足の鬼となって熱病をふりまくようになった。それに苦しんだ人々は、その子が生前好物であった索餅(さくべい)を供え、祟りをしずめた』。索餅は麦縄ともいわれ、奈良から鎌倉時代にかけての文献にもたびたび登場するもので、そうめんの原型ではないかという説があります。
 ところでみなさんは、そうめんとひやむぎの違いについて思いをめぐらしたことはありませんか。どちらも小麦粉を麺に加工したものですが、本来は製法に大きな違いがありました。そうめんは、小麦粉を食塩水でこねてから、油を塗りながら、手で細〜く長く延ばしてつくる「手延べの麺」。
 一方、ひやむぎは小麦粉を食塩水でこねるところまでは同じですが、うどんと同様に、麺棒を使って薄く打ち延ばしてから包丁で細く切る「手打ちの麺」です。しかし、機械化が進んでからは、そうめん、ひやむぎ、うどんを製法上で区別することは難しくなっているようです。しかし、日本農林規格(JAS)では、そうめんは長径・短径ともに1.3mm未満、ひやむぎは長径1.3mm以上1.7mm未満、短径1.0mm以上1.7mm未満に成形したもの、という基準を設けています。



参考資料
「年中行事を科学する」永田久著/日本経済新聞社
「そば・うどん百味百題」(社)日本麺類業団体連合会企画/柴田書店
「たべもの史話」鈴木晋一著/小学館ライブラリー
「別冊太陽日本を楽しむ暮らしの歳時記夏号」/(株)平凡社


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