ルーツ探訪
2000年
5月
▼端午の節句は、そもそも女性の休養日?

●5月。田植え月の主役は女性たち。

 古来、中国では5月は悪月、とりわけ5月5日は一年でもっとも邪悪な日と考えられていました。そこで災厄を祓(はら)うために、野に出て薬草を摘んだり、よもぎでつくった人形を戸口にかけたり、菖蒲(しょうぶ)をひたした酒を飲むといった行事が行われていました。
 一方、日本では古くから、五月は早苗(さなえ)月、つまり田植えをする月として、一年のうちでも最も重要な時期としてきました。田植えに先立ち、その主役である早乙女(さおとめ)は、家にこもって身を清め、物忌みの生活をおくり、田の神を迎えて豊穣を祈りました。この日を「女の家」と呼び、女性たちが威張る日だとする地方も多くあります。もともと5月の節句は、神を迎える祓えの日、そして女性の休養日でもあったわけです。
 端午の節句は、こうした日本独特の習俗と、平安時代に中国から伝わってきた習慣とが結びついて、徐々に広まっていったものと考えられます。



●菖蒲は尚武の精神。男子の祝いの日へ。

 端午の節句は、菖蒲の節句ともいわれます。鎌倉時代になると、「菖蒲」が「尚武(武芸や軍事を大切にすること)」に通じるという縁起のため、武士の間にも盛んとなり、流鏑馬(やぶさめ)や印地打ち(石合戦)など、男子中心の勇ましい行事が催されるようになりました。江戸時代に入ると、武者人形やよろい、かぶとなどを飾ったり、鯉のぼりを立てるなど、男子の健康と出世を願う祝いの日へと変わっていきます。3月3日を女子の節句、5月5日を男子の節句と対比させるようになったのも江戸時代からです。
 端午の節句に欠かせない菖蒲は、その芳香で邪気を祓い、疫病を除くと信じられていました。その習わしは数多く、菖蒲葺として軒にあげる、菖蒲髪として頭髪にさす、枕の下に入れて菖蒲枕とする、菖蒲湯としてお風呂に入れる、お酒に入れて菖蒲酒とする、などがあります。さて、みなさんはいくつご存知でしたか?



●二千年以上の歴史をもつ「ちまき」

 端午の節句の楽しみといえば、唱歌にも歌われるちまき、そして柏餅。柏餅は江戸時代中期頃からつくられたといわれていますが、ちまきの起源はたいへん古く、中国春秋時代の故事に由来します。
 昔々、楚の憂国詩人・屈原(くつげん)が、上官の中傷によって左遷され、5月5日、悲しみの中で汨羅(べきら)という川に身を投じました。その霊をとむらうために、竹筒に米を入れて、川に投げたというのがちまきの起こり。もち米やうるち米粉の餅を、茅(ちがや)の葉で巻いて、蒸してつくるので「ちまき」の名がつきましたが、カヤはその旺盛な繁殖力から神霊が宿る植物と信じられ、それで巻いたちまきは災厄疫病を祓う食べ物とされたのです。
 また、柏の木は、新芽が出ない限り古い葉が落ちないので、子孫繁栄の縁起がよい木とされてきました。また、柏餅を包む手つきが、神前でかしわ手を打ち姿に似ており、武運を祈願する端午の節句にふさわしいという意味合いもあったようです。なめらかなしんこ餅の舌ざわりと、小豆餡や味噌餡の甘さ、そして柏の葉のほのかな香り。まさにさわやかな5月にふさわしい祝菓子です。



参考資料
「年中行事を科学する」永田久著/日本経済新聞社
「現代こよみ読み解き事典」岡田芳朗、阿久根末忠編著/柏書房
「年中行事事典」田中宣一・宮田 登編/三省堂
「ものと人間の文化史 もち」渡部忠世、深澤小百合著/法政大学出版局


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