ルーツ探訪
1999年
12月
▼「年越しそばは、なぜ食べる?」

●そばを食べて、お金持ちに。

 「そばのように細く長く、家運を伸ばし、寿命を延ばす」「来年も幸せを、そばからかきいれる」などといわれる年越しそば。江戸時代の中頃には、すでに年末の習わしとして定着していたといわれますが、その由来については実にいろいろな説が伝わっています。なかでもとりわけ縁起が良いのが、「そばはお金を集める」というものです。

 江戸時代の金銀細工師は、飛び散った金・銀粉を集めるのに、そば団子を使って畳や床をたたいていました。
そうすると金銀の粉がくっつき、あとからそばを焼いて灰にすれば、金銀だけが残って好都合だったわけですが、これがいつしか“そばはお金を集める”と世間に広がり、「大晦日にそばを食べて、翌年もお金が残るように」と願いを込めるようになったということです。


●いわれもいっしょにツルツルと。

 また、江戸中期までのそばは、小麦粉などのつなぎを用いずにソバ粉だけで打っていたため、たいへんに切れやすいものでした。そこから「一年の苦労や災いを、きれいさっぱり切り捨てよう」として食べたという説もあります。「縁切りそば」「年切りそば」、一年の借金を断ち切るという意味で「借銭切り」などという呼び名を残す地域もあります。

 ほかにも、そばによって体内を清め、心新たに新年を迎えようと言う説、また、商家の風習「大晦日(おおつごもり)そば」が年越しそばにつながったというもの、やせた土地でも丈夫に育ち、風雨にも強いそばの生命力にあやかろうとした説など、枚挙にいとまがありません。

 さて、除夜の鐘を待ちながら、年越しそばに舌鼓。縁起かつぎに語呂合わせ、めでたい言い伝えもいっしょにいただきましょう。


●そばはお寺に限る???

 ところで、そば屋の屋号には「庵」の字をよく見かけますが、これは、実在したお寺の名に由来するものなのです。

 江戸時代の中頃、浅草にあった称往院極楽寺の一角に道光庵という支院がありました。ここの庵主は信州出身のそば打ちの名人で、はじめは檀家の人々向けに振る舞っていましたが、その驚くほどのおいしさが評判となり、次第に一般の人々も信心にかこつけ、食べに来るようになりました。その名声はどんどん高まり、江戸の評判記には、本職のそば屋を押しのけて筆頭に挙げられるほどとなり、道光庵の門前には、そば目当ての人々が連日列をなす有り様。しかし、寺なのかそば屋なのかわからないような様子を見かねた称往院極楽寺の和尚が、ついには「そば禁断」の石碑を建て、道光庵の繁盛記は終わりをつげます。

 当時のそば屋は、道光庵の人気ぶりにあやかろうと、競って自分の店に「○○庵」という屋号をつけ、商売繁盛を願いました。それが今に残されているというわけです。


参考資料
「そば・うどん百味百題」(社団法人日本麺類業団体連合会企画)
「海の幸・山の幸大百科第III巻」(株式会社ぎょうせい)


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